横浜DeNAベイスターズ初代GM・高田繁についての記事を作成しました。
前編・後編の2部に分けて掲載します。後編はこちら
前編は高田GMのDeNAGM就任の経緯・GMの仕事内容・就任後にまず取り組んだことについて
後編はGMとしての7年間の成果や具体的内容について
それぞれ記載していきます。
はじめに
2018年10月11日、横浜DeNAベイスターズは高田繁ゼネラルマネージャー(GM)が今季限りで退任することを発表した。
高田GMの退任についてはこれより以前にスポーツ紙で報じられていたが、これが正式な発表となった。
GMとして、2011年11月にDeNAによる横浜ベイスターズの球団買収が行われて就任して以降、約7年間の職責を全うした。
新球団「横浜DeNAベイスターズ」誕生以降、監督・球団社長・オーナーなど主要な役職の人物が交代していったが、球団の運営・編成に携わり最も重要な職務を行ってきたGMもとうとう退任することとなった。
高田GMの仕事ぶりや成果について評価は人により賛否両論あるが、筆者としては新球団の立て直しに尽力して成果も残してきた高田GMのことを『球界史上最高のGM』として評価したい。
そう評価する根拠となる実績・功績について、まとめてみた。
新球団のGM就任
高田繁がGMに就任した時、「横浜DeNAベイスターズ」は新親会社のもと名目上は新球団としてスタートした形になったが、球団としてはその以前から「横浜ベイスターズ」として存在していて、ゼロからのスタートでは無かった。
だが、当時の球団の状態を考えるに、ゼロよりも悪いマイナスからのスタート、と言った方が合っていただろう。
セリーグで4年連続最下位。そのうち3年は90敗以上。
観客動員数は110万人(12球団最下位)。1試合平均15000人(30000人収容球場)
2011年チーム防御率圧倒的最下位。チーム打撃成績5位(最下位は当時投手王国の中日ドラゴンズ)
成績は最悪。補強も上手くいかず。ファンも愛想を尽かす
そんな状態だった。
そういった状態の球団を立て直すには、上辺だけの補強や目先の勝利のみを考えるのではなく、中長期的に強いチームとして君臨していけるよう球団運営・編成の根本から変えていかなければならず、球団という母体に対して大規模な外科手術が必要だった。
とはいえ、新親会社のDeNAは野球運営・編成に関しては全くの素人。
ITベンチャーでのし上がってきた企業ではあったが、野球に関してのノウハウを持っておらず、この親会社から出向してきた人たちで始めるにはあまりにも知識・経験不足で、まずこの人たちに代わって球団運営・編成・人事を託せる人物が必要だった。
高田繁は現役時代に巨人の選手でV9の主力として活躍。引退後は日本ハム・ヤクルトの監督を歴任。そして日本ハムのGMとして球団改革し、何度もリーグ優勝に導いた実績も持っていた。
プロ野球界の中では数少ないGM経験者で、稀有な存在と言えるだろう。
そのGMとしての手腕をDeNAに買われて、横浜DeNAベイスターズの初代GMに就任した。
当時既に67歳という高齢で、高田繁本人はプロ野球界の第一線から離れる気持ちもあったようだが、DeNAからの再三の要請に応じて就任することとなった。
横浜DeNAベイスターズのGMとは
GM職は元々日本ハム時代に経験していたが、日本ハムとDeNAとでは同じGMでも仕事の内容に大きな違いがあった。
日本ハムでは経営部門・編成部門・人事部門の3つに分かれており、経営は球団社長・編成は編成部長・人事はGM、という形で分離していて、高田GMは監督・コーチ人事決定や選手の能力評価など、現場担当の職務だった。
それがDeNAでは全権委任型のGMで、経営・編成・人事の全てを管理する立場としてスタートした。
仕事量は日本ハムのGM時代の比ではないくらいの多さで、かなりの激務だっただろう。
後に経営面を池田球団社長が主に担当し、編成面を吉田スカウト部長が主に担当するようになり仕事の分担は行うことができたが、全体の責任者が高田GMという立場は変わっておらず、7年間ずっと球団トップとして全てのことを司ってきた。
最下位球団から上位球団へ変えるための取り組み
BOSの導入
そんな激務のGMとしてスタートしたが、ただ仕事量が多いだけではなく、最下位球団から脱却し常に優勝争いできるチームにする、というのがそもそもの就任の目的で、そうした結果を出すために動きださねばならなかった。
そのために高田GMが取り入れたのは、日本ハムGM時代でも行っていたBOSの導入だ。
BOSとはベースボール・オペレーション・システムの略で、選手の能力を数値化し、その数値によって選手年俸や起用法・補強・育成方針を決定していくもので、これにより
「この選手の年俸はどのぐらいが適正か」
「この選手はどのポジションで起用すべきか」
「この選手は補強すべきか」
「この選手をどう育てていくか」
など、チーム作りの根幹をなす部分を人の評価ではなく、システムで一本化することができるものだ。
日本ハム時代はこのBOSの導入で、Bクラス常連の球団を何度もリーグ優勝へ導いた実績を持っており、高田GMは当然DeNAでも導入することとした。
現在、このBOSはDeNA用に「ミナトシステム」と名称が改められ、フロントのみならず現場の監督・コーチ・スタッフ全員が管理・確認できるようになっている。
MINATO(ミナト)システムは、選手や試合に関する様々なデータを蓄積するためのシステム。
入力するデータは試合結果や個人成績からコーチが選手を指導した内容、フィジカルトレーニングの内容、選手の健康状態までさまざまで、1軍だけでなく2軍の選手も含まれているとのこと。
データを集約することで、チームに不足している戦力や強化すべき選手はどういった選手か、そのための具体的な強化方法などがわかる。
また、ミナトシステムで集めたデータはスカウトにも明確な判断基準を与えてくれるという。
球団内部の管理体制の見直し・ITの導入
球団へのシステムの導入はBOSに限ったことでなく、社内インフラや連絡手段・スケジュール管理など、あらゆる面でシステム化していった。
・スケジュール管理を一元・共有化。スマホで外部からも確認可能に
・情報共有のシステム化。必要な情報をいつでもPC・スマホから見れるように
これらはIT企業にとっては当たり前のことだったが、プロ野球球団という特異な体質もあり、前親会社時代はなかなか導入されていなかった。
この導入に関しては当時管理部門を担当していた萩原龍大(現チーム統括本部長)が取り組んだものだが、高田GMが率先的に取り入れようと動いたことあってのものだろう。
これにより球団内部の情報連携や作業の効率が一段とアップした。
項目 横浜ベイスターズ時代 横浜DeNAベイスターズ時代 外部との連絡手段 電話とFAX メール+電話、FAX。外出時もスマホでメールを確認でき、顧客対応が迅速化 社内の連絡手段 業務部門間で断絶 スケジュールをインターネット上で共有/外出時からもスマートフォンで確認できる 会社設備の共有 会議室がない スマホで会議室や営業車の予約ができる 営業資料の共有 紙ベース 社内サーバで共有、外出時からもスマホで確認できる 顧客管理データベース 未導入 誰が、どこに、どんな話をしているのか共有、組織的な戦略が立てられる 横浜DeNAベイスターズ ITビフォー・アフター
スカウト陣の充実化
上記2つはシステム関係の話だが、現場の「人」に関しても、高田GMは有能な人材を取り入れていった。
特に高田GMが注力していたのはスカウト・編成部で、チームを長期的に強化するためにはドラフト・育成が何より重要という考えがあってのことだった。
主に高田GMが招聘したスカウト陣は以下の人材だ
・吉田孝司スカウト部長(後に編成部長も兼任)
・嘉数駿GM補佐
・小林晋哉スカウト(現在外国人スカウトも担当)
吉田スカウト部長は7年間高田GMの下でスカウト・編成を一手に任されてきた右腕的存在で、ここまでのドラフトの成功を見れば文句無しの実績と言えるだろう。
嘉数GM補佐はサンフランシスコ・ジャイアンツの元スカウトで、DeNAがBOSシステムを導入する際、メジャー流のスカウティング・編成を取り入れるのに尽力した。現在はDeNAを離れ、レッドソックスのスカウトになっている。
小林スカウトは関西方面を担当するスカウトとして活動。近年では外国人のスカウティングにも携わり、渡米して実際に選手を見て絞り込みを行った。なお、これで獲得してきた選手がウィーランド・パットン・ソト・クラインなどで、クラインは日本に適応できなかったものの他の選手の活躍に関しては、近年の外国人補強でトップクラスの活躍と言えるだろう。
こうした人材を集めたことで、今日のDeNAのドラフト・補強が安定している。
【DeNA】吉田編成部長、スカウトは賭け 現主力は短所目をつぶり獲得した選手たち : スポーツ報知(リンク切れ)
DeNAとしてのドラフト指名選手は昨年まで35人おり、今季の“1軍戦力”は23人(オフに戦力外になった水野を除く)。11年以前との成果の違いは明白だ。
「スカウト業は常に賭け。何年かかっても、これがいいというのは分からない」
巨人時代から約50年の付き合いになる高田GMに「2年間手伝ってくれ」と言われて引き受けた仕事も、気づけば6年たった。
「ここまで来たら、リーグ優勝するところまで見届けたいね」
GM主導の2軍管理
GM制の場合、GMの裁量と1軍監督の裁量の範囲がどこまで及ぶかが外から見ると判断しづらいところだが、DeNAの場合は明確に権限が分かれている。
GMは人事・編成のトップ、1軍監督は現場のトップという分け方で、1軍の起用法・指導法・采配に関しては1軍監督の専任事項で、ここにGMは口を出さない。
GMが1軍に関わるのは監督・コーチ人事の決定と選手補強ぐらいで、それが固まれば完全に1軍は1軍監督に委ねられる。
しかし2軍に関してはGM主導で起用法や指導法などを決められている。
これは2軍は「選手育成の場」という認識で、選手1人1人をどのように育てていくか、試合にはどのぐらい出していくか、選手の成長具合はどうなっているか、などを毎月状態を見ながら確認して決定している。
2軍監督もコーチ陣もGMの直轄として動き、誰に何打席を経験させる、誰にどんな指導をする、誰の今月の状態はどうだったか、など1人1人を詳細に管理している。
こうして決めた育成法は記録として残され、過去の記録をもとにより良い育成法を更新していくことが可能となった。
この管理の一環として、2軍でしっかり計画立てて育てている選手に関しては、シーズン中に1軍監督から昇格を希望されても、育成途中なのでGMが止めることもある。
それだけ2軍の若手育成を重要視し管理している。
GMとして、二軍の監督にはシーズンを通してこの選手にはこれだけ機会を与えてくれ、と伝えました。だって、試合に出なけりゃ上手になりようがないんだから。指示は細かかった。この選手は先発型の投手なので、結果にかかわらず、何イニングは投げさせるようにと二軍監督に伝えた。
監督・中畑清招聘
高田GMが人事面で行った仕事で最も注目を集めたのが新監督の決定だ。
この人事に関して、高田GMと当時の池田球団社長とでどういう人物が良いか話し合われたが、最終的に以下の条件に合致する人物を監督として招聘することとなった。
・新球団にふさわしい明るくフレッシュで、ファンサービスができる
・GM制に理解がある
これに関しては、当初工藤公康に監督要請をしていたが、工藤氏側がコーチ人事について譲れない点があることや、自身が選手兼任監督として希望していたこともあって、折り合いがつかず破談となった。
色々意見はあるが、GM制に関して意見の違いが出てしまったのだから、仕方ないと言えるだろう。
その後、アテネ五輪で監督代行を務めた経験がある中畑清を新監督として招聘した。
中畑監督ならムードメーカー・ファンサービスの点でこれ以上ない人選で、実際その後球団の雰囲気をガラリと変え、選手たちを戦う集団へ意識改革した点は評価されるべきところだろう。負けが込んでても最後までファンサービスを欠かさず、球団の観客動員数大幅アップへ貢献した。
高田GMは最下位常連球団の立て直しに、適した人物を招聘できたと言えるだろう。