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【プロ野球】ポジションを固定して育成することの是非【ファーム】

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レギュラーを掴む選手は、どこかのポジションで固定で起用されることが多く、このポジションにはこの選手といった形で定着していきます。

例えばソフトバンク今宮ならショート、ヤクルト山田ならセカンド、巨人岡本ならサード、元DeNA筒香ならレフトなど、その球団の年代とポジションを言うだけで、誰が守っているか分かるような選手になっていくと定着したと言えるでしょう。

こうした選手については、レギュラーを掴む前からも将来のレギュラーとしてポジションを固定で育成されていたのでしょうか?

また、レギュラーを掴むのにポジションを固定する場合と、色々なポジションを経験させる場合のどちらが選手にとって良い影響を与えるのでしょうか?

それらを今宮・山田・岡本・筒香の例から考えてみました。

 

今宮(ソフトバンク)の場合

今宮は明豊高校時代は投手と野手を兼任する形で活躍していましたが、プロに入ってからは野手一本に絞り、ソフトバンクからドラフト1位で内野手として指名を受けました。

1年目の今宮の2軍ポジション別出場試合数を調べると、

ショート:78試合、サード:1試合でした。

殆どショートなので、ショートとして育てていると言えるでしょう。

2年目の今宮の2軍ポジション別出場試合数を調べると、

ショート:62試合、セカンド:6試合、サード:5試合、ファースト:5試合でした。

2年目ではショートをメインとしつつも、内野の他のポジションを守っています。

こうなった理由を考察すると、今宮のショート守備に不安視したとは思えませんし、他のポジションを経験させることで1軍で起用される選択肢を増やす目的があったのかもしれません。

3年目からは1軍でも多く起用されています。1軍でのポジションはショートが84試合で、他は指名打者が1度あったのみです。これ以降、今宮は1軍でのレギュラーショートに定着しています。

今宮の場合は、2年目に少し他のポジションを経験したのみで、殆どの試合でショートで起用されているので、ショートとして育ててショートのレギュラーを掴んだと言えるでしょう。

 

山田(ヤクルト)の場合

山田は履正社高校時代は2年夏にセカンドを守り、2年秋からショートを守っていました。身体能力が高いことを評価され、ドラフトではヤクルトの外れ外れ1位指名でした。

1年目の山田の2軍ポジション別出場試合数を調べると、

ショート:110試合、セカンド:10試合でした。

この頃はショートをメインで起用していましたが、セカンドも少し経験させていました。球団としてはショートで育てる方針だったと思いますが、セカンドの適性も少しは見ていたのかもしれません。

2年目の山田の2軍ポジション別出場試合数を調べると、

ショート:40試合、サード:1試合でした。

2年目はショートが殆どになっています。1軍でも起用されていましたが、1軍もショートで17試合に出場しています。この時点までは球団は山田をショートで育てる方針だったのでしょう。ただ、1軍でのショートの守備率が.940だったので、1軍首脳陣からはショートで起用することが難しいと思われていた可能性はあります。

3年目の山田の2軍ポジション別出場試合数を調べると、

ショート:29試合、セカンド:10試合、サード:8試合でした。

2軍ではこの時点でもショートでの起用が1番多いです。ただ、1軍での起用はこの頃から大きく変わっています。1軍はセカンドで91試合に出場していて、ショートは1試合のみになっていて、この時点で1軍首脳陣は完全にセカンドで起用していく方針に変更したのでしょう。

チーム事情を勘案すると、ヤクルトは当時田中浩康がセカンドを守っていましたが、打撃が低迷していました。そこへ若くて打撃が良い山田が上がってきたのでセカンドで起用する方が良いと判断した可能性はあります。

おそらく最初はショートとして育てる方針だったと思いますが、1軍の事情からセカンドでの起用になって、そこで結果を残せたことでレギュラーを掴んだと言えるでしょう。

 

岡本(巨人)の場合

岡本は智弁学園時代は1年からレギュラーで一塁を守り、2年で三塁も守りましたが、3年では一塁手として出場していました。当時の守備力を考えると一塁以外はやや不安がありそうでしたが、スカウトの間では三塁手としても期待できる声はあり、ドラフトでは巨人が単独1位指名しました。

1年目の岡本の2軍ポジション別出場試合数を調べると、

サード:57試合でした。

ファーストは1度も無く、巨人としては三塁手として育てたいという意思をはっきり示しています。ただ、当時は守備率が.926となっていて三塁守備に課題はありました。

2年目の岡本の2軍ポジション別出場試合数を調べると、

サード:85試合、ファースト:17試合でした。

サードの守備率は1年目より改善して.943となっていました。ただ、ファーストでも起用するようになったのは打力を活かして、出場機会を増やしたいという意図があったのかもしれません。1軍でも数試合出場していましたが、全てファーストでした。

3年目の岡本の2軍ポジション別出場試合数を調べると、

レフト:87試合、ファースト:16試合でした。

この年はサード出場が1度も無いという、前年までと全く変わった起用でした。1軍でもファーストで1試合、レフトで9試合という起用でサードからは完全に離れています。

これはおそらく、岡本のサード守備がなかなか1軍レベルに達していなかったのと、1軍で外野が固定できていないことで岡本の打力を活かした配置転換を考えたと思われます。ただ、完全に1年間サードから離れたことで、サードに戻ってくるのは厳しくなったと思われていたことでしょう。

4年目の岡本は完全に1軍主力となり、2軍での出場はありませんでした。

1軍での岡本の起用は、ファーストで108試合、サードで14試合、レフトで21試合でした。1軍で全試合スタメン出場で完全にレギュラーとなり、メインではファースト守備に就いて、他にサードとレフトもこなせるというような立場ですね。

ここで特筆すべきはサードの守備率で、14試合とそこまで多くは無いですが守備率1.000と無失策でした。1年間のブランクがあったのに守備率が改善しています。岡本がまたサードをできるようになったのには、この守備の改善の影響もあったことでしょう。

5年目の岡本は、1軍でファースト69試合、サード56試合、レフト17試合という起用で、4年目と比べてサードの割合が増えてきました。サードの守備率は.962で破綻の無いレベルになってますし、1軍の方針で岡本をサードのレギュラーにしようという意図が見えてきます。

そして迎えた6年目には1軍でサード118試合出場で、他のポジションを守ることなく完全にサードのレギュラーになりました。守備率は.971と安定してきてますし攻守ともにサードのレギュラーとして文句の無い状態になったといえます。

岡本の場合、このように紆余曲折がありましたが、そうした経験を経て最終的にサードにおさまった感じで、ずっと同じポジションで起用し続けなければレギュラーを獲ることはできない、というわけでは無いことの証明になりそうです。

 

筒香(元DeNA)の場合

筒香横浜高校時代、1年春の時点から4番を任されるほどの優れた打撃力があり、高校通算69本塁打という記録を残した。高校時代は2年まではファーストを守り、3年でサードを守っていました。当時の守備評価はそこまで高くなく、打撃力が重視されていました。ドラフトでは地元の横浜が単独1位指名となりました。

1年目の筒香の2軍ポジション別出場試合数を調べると、

サード:93試合、ファースト:3試合でした。

これはサードとして育てていく方針がはっきり見えます。ただ守備率が.894とかなり低い方で、守備力の改善は必須だったでしょう。当時のチーム事情を考えると村田の後釜として考えてたと思うので、筒香を何としてもサードで育てたかったんでしょうね。

2年目の筒香の2軍ポジション別出場試合数を調べると、

サード:53試合、ファースト:4試合、ショート:2試合でした。

サードをメインで育てていく方針に変わりは無さそうですが、驚いたことにショートを2試合だけ経験させています。このショート起用にはどんな意図があったのか、今からだと読み取れないですが、サードの守備率が.969と改善しているので、ショートを試しにできるぐらい調子が良くなっていたのかもしれないですね。

3年目の筒香は1軍がメインになりました。ちょうど村田がFA移籍したタイミングだったので、その後釜に筒香が入る形でサードで92試合に出場しました。これだけ出場して守備率が.970と結構安定していましたので、高卒3年目として守備面ではひとまず合格点だったのでは無いでしょうか。ただ、守備が良くても打撃で課題がはっきりしていたシーズンでした。

4年目の筒香は打撃不調の影響で、また2軍がメインになってしまいます。

2軍ではサード:56試合、ファースト:4試合、外野:5試合となっていて、この時点でも基本的にはサードで育てています。3年目の1軍でもサードの守備はそこまで悪くなかったですし、球団としてはまだサードで育てようとしていたのでしょう。ただ、外野も守るようになり、特に1軍では中村紀やブランコが一三塁に定着しだしたので、1軍では内野手としてレギュラーを獲りづらくなってきていました。逆に外野はレフトのラミレスが年齢の影響で打撃成績が落ち込み、ラミレスの後釜のレフトが必要になっていました。

5年目は筒香が完全に実力で1軍レギュラーに定着した年です。規定打席に到達して打率.300 本塁打22本 OPS.902という文句無しの結果を残し、これ以降筒香はずっと1軍レギュラーに定着しています。

この年の1軍での守備位置はレフト:101試合、サード:7試合、ファースト:11試合でした。

前年までと大きく変わって、レフトのレギュラーに定着しています。レフト守備は3年目からで、特に2軍では通算で10試合も経験していないにも関わらず、1軍でレフトのレギュラーに抜擢したのは首脳陣も大きな決断だったでしょう。
ただ、レフトへの転向前のサードの守備率はそこまで悪くなかったので、そのままサードで育てることもできた可能性はあります。守備の負担と打撃への影響を考えての判断だと思いますが、サード筒香としてレギュラー定着を期待していた人も多かったのでは無いでしょうか。

 

以上、4人の選手を挙げてみました。

高卒の方が育成の影響が分かりやすいと思いますし、それぞれポジションを固定して育成した結果や、色々なポジションを経験させた結果などが特徴的な4人だと思います。

今宮はショートとして育てて、他のポジションを少し経験させつつもショートで定着

山田はショートとして育てていたが、守備能力やチーム事情でセカンドへ定着

岡本はサードとして育てつつも、1度サードから離れてまたサードへ戻って定着

筒香はサードとして育てていたが、チーム事情で経験の少ないレフトへ抜擢して定着

こう見ると最初の方針通りに育つというのは少ないのかもしれません。選手それぞれに紆余曲折があり、そうした中で最終的にレギュラーを掴んでいます。
それは当初の構想とは異なるかもしれませんが、それが悪いことではなく良いことと考えることもできそうです。
高卒の選手の場合、指名時点で将来の理想像を考える人は多いと思いますが、あまりそこに拘り過ぎるよりも、その時々の選手の状態やチーム状況に合わせた柔軟な育成の方が、選手が大成しやすいかもしれないですね。

 

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